名言これくしょん

漫画の名言中心に、グッときた言葉とあれこれ感じたことの備忘録です

人生の勝ち負けを決める数字

イイ歳して、いまだにジャンプ読んでます(笑)
息子が買ってくるのでついつい。


今日は、そんな少年ジャンプでかつて連載されていた
いぬまるだしっ(作:大石浩二)』からの名言。

※以下、ネタバレあります

いぬまるだしっ」はギャグ漫画です。
幼稚園児の「いぬまるくん」という常に下半身を露出している男の子が主人公。

すみません、ほんと名言あるんで、最後まで読んでっ!

まあそんな、おしりまるだしのいぬまるくんが
担任のたまこ先生やお友達と、いろんな騒動を繰り広げる話なんですが。
けっこうと言うか、かなりおもしろいです。
各キャラの性格設定もいいですし、オタクやジャンプの小ネタを仕込んでくるのが楽しい。

今回のお話は、いぬまるくんが通うアホ園児の集まり「またたび幼稚園」と、
園長同士が幼馴染でライバル関係にあるエリート集団「こぎつね幼稚園」との、
合同運動会勝負編のクライマックス。

いろいろあった末に、人生負け組であるはずの「またたび幼稚園」が勝利をおさめます。


「世の中には、勝ち組と負け組…人を使う方と使われる方しかない」
そんな考えでエリート集団を育てる「こぎつね幼稚園」の園長は
「またたび幼稚園」に負けたことが悔しくて、
「アタシは何も間違ってないのに…ッ こんな…負け組の幼稚園なんかに…ッ」と
膝をついてくずおれます。


そこへ、たまこ先生がかけた言葉。(一部略)

アタシ頭も悪いし学歴も立派じゃないし…
給料も超やっすいし…
あと…全然モテないですけど
毎日毎日いろんなコトがあって
その日一日乗り切るだけでも大変で…でも…
毎日が楽しいんです
テストの点とか順位とか
学校や企業のランクとか収入とか
それが大事じゃないとは言えないんですけど…
そんな数字だけが人生の勝ち負けを決めるワケじゃないと思うんです
もし何かの数字で勝ち負けが決まってしまうのであれば…
それはきっと…
「笑った数」だと思います 

 

人生の勝利や幸福を数値化するとすれば、それは「笑った数」。

たくさん、笑おう。

もちろん、そんな「笑える状況」を守るために
勉強したり、仕事したり、がんばることが大事。
そして、笑える体と、笑える心でいるのが大事。

平気な風に見えても、みんないろいろあるよね。
笑うのが難しい日だってあると思う。
でも、「つらいできごと」と「楽しいこと」は別の軸の上にある。
悲しい時だって、アメトーーク見て笑ったっていいじゃない。
それはそれ。これはこれ。

さ。
明日も、ふつーに乗り切って、いっぱい笑いましょう!

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本当に高いプライドは人を地道にさせる(『ちはやふる』の名言)

事が忙しい時、ふと「これでいいんだろうか?」と思う瞬間があります。

1年後、3年後、5年後、もっと先――
今やっていることは、ちゃんと未来の自分のためになっているのかな?
などと、真剣に考えてみたり。

年齢を重ねてよかったと思えることのひとつは
「真剣と深刻はベツモノ」だと理解できることです。
若いと、真剣に考える=悩む、になってしまいがちですから。

今これ読んでる若い人、
真剣に考える時に、深刻になんなくていいですからね。
むしろ、深刻になると見えるはずのものが見えなかったり
他人の意見や有益な情報をちゃんとキャッチできなかったり
ぐるぐるループで最適解にたどりつけなかったりしますから
真面目なことを考える時は、らくーーーに、ね。


さて!
本題の名言にまいりましょう。


今日は、世間での認知度がすっかり高くなった漫画、
作:末次由紀 「ちはやふる」の12巻より。

※注 少しだけネタバレがあります

ちはやふる」は、ざっくりいうと競技かるたに青春をかける高校生のお話。
競技かるたと聞くと地味な印象ですが、そのイメージをガラリと変えた作品です。
本当に一生懸命な彼らを見ていると、ホロリときます。

12巻では、主人公ちはやちゃんは高校2年生になり
後輩の部員を引き連れて全国高校小倉百人一首かるた選手権大会に挑みます。
その東京都予選大会。
団体戦決勝で当たったのは、強豪・北央学園。
一年生の時にも接戦を繰り広げた因縁の相手です。

昨年、この北央学園の部長をしていたのが、須藤くん。
次の名人とも目されている実力の持ち主で、
ドSでプライドの高い超オレ様。
「名人をぶっ倒すのは俺」と言って、はばからないような人です。

この須藤くんが、今年の大会では、かるたの「読手」として現れました。
それも、感心するほど上手い読手として。
なぜ、須藤くんが読手をしているかというと、競技かるたの名人を目指すために
読手を研究しようと、努力して読手の資格を取ったからです。

それを知っている北央学園のかるた部顧問が、その過程を回想するシーンで
タイトルの名言を独白するのです。

本当に高いプライドは
人を地道にさせる。
目線を上げたまま。


プライドの高い人は、発言がインパクトあったり目立つことが多いので
地味な努力を嫌うイメージがありますが、
本当に高いプライドを持って上を目指す人は、コツコツと積み上げることを惜しみません。
自分の目標を達成させる手段なら、地味な作業も厭わないんです。

もっと遠くの高みを見つめているから。
そのためなら、何だってする。
そういうプライドなんです。

「この俺が、そんな地味なことできるわけねーだろ」なんてこというのは
ちっちゃいニセモノのプライドです。

誰かに見せるためではない、世間に評価されるためでもない。
ただ、自分がたどりつきたい場所に行くためにする地道な努力。
そういうことができるプライドが、ホンモノです。

 


本当のプライドを、高く高く持っていたい。
遠くの高いところ。
私にとってのそれは、どこなんだろう。

自分自身の上昇志向や成功願望はあまりない方なのですが
気を引き締めて「遠くの高いところ」を見つめなおそう――

須藤くんがかるたを読む場面を思い出すたび、背筋がピッと伸びるのです。

 

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まったく!!!! いい人生だった!!!!(『ワンピース』の名言)

『ワンピース』 尾田栄一郎
ジャンプコミックス 16巻 第145話「受け継がれる意志」


「まったく!!!! いい人生だった!!!!」

これは、
チョッパーの育ての親、Dr.ヒルルクの最期の言葉です。

長年の研究は実り、チョッパーは医師として歩み出し、
思い残すことがなかったから、こう言えたのでしょうか?

確かに、大きな気がかりは解決の糸口が見えましたが…
チョッパーはまだまだこれからだし、研究ももっと究められたはず。

思い残すことは、たくさんあったでしょう。


じゃあ、死を受け入れていたから?
でも、死を受け入れるって何? どういうこと?

もう死んでもいいや、と思うこととは全く別のものだとはわかります。
ヒルルクは、きっともっと生きていたかったと思います。


死線をさまよったことのない私には、残念ながらわかりません。


身近なところで参考になるとしたら、私の母のこと。


母が末期癌の病床についていた時、私に言いました。
「あの世って、どんなとこやと思う?」

どんなに病状を隠していても、カンのいい母はとっくに気づいていたんでしょう。
明日って晴れると思う? と訊くのと同じトーンで問う母に
私はとまどうばかりで、
「さあ…わからんなぁ」としか答えられませんでした。

すると母は、いたずらっぽくニッと笑って
「たぶん、めっちゃええとこやねんで」
と言いました。

「だって、行った人誰も帰って来んぐらいやもん」


闘病にやつれた姿で飛ばす冗談に、
私は上手に笑えたのか自信がありません。

この数日後、母は本当に帰って来なくなりました。
「ありがとうな」という言葉を遺して、逝きました。


母の最期の数ヶ月を思い返すと
「死を受け入れる」という言葉に近いのは
「覚悟」というような悲壮なものではなくて
「そういうもの」と笑える強さなのかもしれないな、と思います。


ヒルルクは「いい人生だった」と言ったのであって
「もうこれでいい」と言ったわけではありません。
だから、「覚悟」とか「悔いがない」とは、違うような気がするのです。

ヒルルクの「いい人生だった」の中には
たくさんの「ありがとう」が詰まっているように思います。
ドラムの人々、Dr.くれは、そしてチョッパーに向けて。

覚悟なんて、決まらない。
悔いも、いっぱいある。
だって、大切なもの、愛おしいもの、別れがたいものが
こんなにもたくさんあるのだから。

だからこそ、全くいい人生だった。


いろんな後悔だらけの人生だったとしても
万感の「ありがとう」を最期に言えるような生き方ならば
それは、いい人生なのかもしれません。

その答えは、まだ私にはわからないけれど。


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ワンピース論語 ワンピースの名言100

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ワンピースの言葉が教えてくれること (ルフィと仲間たちに学ぶ「生き方」の教科書)

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ぼくらは花のように意味を持ち、強く、強く生きよう(『きみのカケラ』の名言)

ぼくらは花のように意味を持ち、強く、強く生きよう

テーマ:マンガの名言

ずっと放置していたアメブロから
はてなブログに引っ越して3日で100PVを超えました。
読んで下さる方々に感謝してもしきれません。
ほんとうに、ありがとうございます。

では! 本日も名言を紹介しましょう。

 

きみのカケラ』 高橋しん
小学館 少年サンデーコミックス

5巻 第11章

※注意
以下、少しだけネタバレがあります


ドラマ化された『いい人』や、アニメ化された『最終兵器彼女』で有名な
高橋しん が描く、「生きる」ことの素晴らしさと切なさが胸に迫る物語です。

各巻の冒頭にあるナレーションには、こうあります。

このお話しは、2つのカケラの物語。
短い一生を 懸命に生きた 少年と少女の物語。


表題のセリフは、戦族(いくさぞく)の大佐・エリオットの言葉。
この物語の世界では、政治や産業の様々な役割は、氏族ごとに完全分業されています。
世界そのものが「滅び」を待つだけの時代という設定なのですが、
それでも様々な人々が、様々な方法で、「滅び」以外の道を探ろうとします。

エリオット大佐も、そうした1人。

ただし、彼のとった方法は、武力によるクーデターで王位と政権を簒奪し、
「破壊」によって状況を打破しようとする血なまぐさいものでした。


そんなエリオット大佐の少年時代を、
異母妹のエリザベス少佐が回想するシーンで
表題のセリフが出てくるのです。


まだ幼いエリザベスが、
大人たちの言うがまま、戦族として人を殺めることを教えられ、
そんな「いやな仕事」を引き受けて「頑張って」いても、
世界は滅んでしまう、何も報われないと泣きます。

エリオットは、妹に
「――花というものを知っているか? ベス」
と訊ねます。


この物語の世界では
太陽は失われ、暗く雪に閉ざされて、
普通に花を見ることはありません。
エリザベスも、当然知りませんでした。

エリオットも、図鑑でしか見たことがなく
大昔に滅びた
「見た目がきれいなだけの、かよわく役に立たぬ情けない生き物」
だと思っていました。

しかし、エリオットはある日、「耕族」と呼ばれる人々が
守り受け継いできた雪の下の農地を訪れ、
地下深く人口灯のもとで一面に咲く花を見るのです。

そしてそれが、イモやカボチャになることを知り
花というものの生命の輝きと力強さを感じます。


エリオットは、エリザベスに言いました。
(以下、中略あり)


ベス、ぼくたちは
がんばって早く大人になろう。
子供のままで死ねば
生きた意味はない…
生かされるだけに存在(いき)て
生きてると言えるか。
生きる意味をなさずに
生きのびるだけで
強く、
生きたと言えるか。

ぼくらは花のように意味を持ち、強く、強く生きよう

 

エリオット大佐は「無力」のまま生きることを「無意味」と感じて
力を求めるようになったのだろうな、と…
物語中ではやや悪役の大佐が、そんなふうに思いながら
たぶん、自分の力無さに胸を痛めながら、
大人になっていったんだな、と思わせる回想です。

 

花は、ただ優しく美しく咲いているように見えますが
実際は、害虫と戦い、細菌やカビと戦い、
生き残って「何か」を残すために、みっともなくあがいています。

花のように意味を持ち、強く、強く生きよう。

この回想シーンが描かれた章の後半、エリザベスとその部隊は
絶体絶命の危機に立たされます。
その時、軍人らしく堂々と自決しようと考えたエリザベスを
主人公の少女イコロが「まだ助かる」と押しとどめます。
ギリギリの可能性に賭けて、何とかしようとするイコロに
「往生際の悪いことするな!」と怒鳴るエリザベス。

その声に、イコロは、こう応えました。

「往生際が悪い…?
 あたり前でねェか…
 生きてんだ
 あたり前でねェか…」

 

時折「生きる意味を探しているけれど、見つからない」と
言う人を見かけますが。

意味なんて、今見つかってなくてもいいんじゃないですか?
もしかしたら、ずっと見つからないままかもしれないけれど
それでも、わからないまま生きても、別にいいんじゃないですか?

花も、意味があるから生きようとしているわけじゃない。

とにかく生きて、現実と戦って生き抜いて、
みっともなく、往生際悪く、あがいているんじゃないでしょうか。
そうやって生きた後に、花の意味が残るのではないでしょうか。

 

そんなこんなを長々と書きながら「きみのカケラ」を読み返して、

「大切」というのは「大いに切ない」と書くんだな、と
ふと気づきました。

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きみのカケラ」は、
1冊につき数回は涙腺決壊のピンチになる
ちょっと重たいところもあるお話しなんですが
とにかく絵が可愛い!
子供たちが元気!
機会があれば、ぜひ手に取って下さいね。

きみのカケラ 全9巻 完結セット (少年サンデーコミックス)

ぼくの顔をお食べよ

何の説明もいりませんよねw
そう、アンパンマンのセリフです。

いきなり話は飛びますが。
数年前に見た私の初夢は…

ひとりぼっちで道に迷った私がシクシク泣いていると
空から丸顔・赤い服・マントひらひらの
どっかで見たようなヒーローが降りて来たんです。

(え。アンパンマン?や、微妙に違う気もするけど…やっぱアンパンマン?)

夢の中でも「これは夢だ」とわかっていたので、なんか違和感ありつつも、
自分の「アンパンマン再現力」がイマイチなのかなーと思っていたら

そいつが事情も聞かず唐突に

「ぼくの顔をお食べよ!」(○^▽^○)

いや腹は減ってない、と制止する間もなく、
そいつが顔の上部を自らの手でパカッともぎ取ると――


断面から、赤いものがドロォーッ…

そこで私が

  


「ジャムパンかーーーぃっ!」Σ\( ̄ー ̄;)

と、ツッコミ入れて目が覚めました。

 

とまあ、それはさておいて。

アンパンマンなんですけどね、助けてくれる気持ちは嬉しいけどね、
重すぎやしませんか?
顔をお食べなんて気軽に言われても!


もし、おなかがすいてへたりこんでいたとしても
アンパンマンに「顔」をすすめられたら
私なら、全力でご遠慮して、
搬送してもらうなり、助けを呼んできてもらうなりしていただきたい。


だって、文字どおり身を削るんですよ。
しかも、顔が欠けると力が出なくなることも知っているし、
そんな時に限ってピンチになることも知っている。

そして、その顔を元に戻せるのはジャムおじさんだけ。
これ食べて元気になったらお返します、ってわけにはいかないんです。


原作者のやなせたかし氏は、戦中戦後に「飢えることのつらさ」を体験して
困っている人に食べ物を与えるヒーローを生み出したそうです。
力が出なくなるのがわかっていても、
目の前におなかを空かせた人がいたら、助ける――

その趣旨は、理解できます。尊い自己犠牲だということも、わかります。
ただ、もし私が助けられる側だとしたら…

安易に、自分を犠牲になんてしてほしくない。
それが、大事な人であればあるほど。

他の選択肢を――
できることなら、どちらも笑顔でいられる選択肢を、模索したい。

 

反対に、自分が助ける側だとしたら、
「余力」で、なおかつ「自分の勝手」で助けられる人になりたいと思います。
「やりたくてやってんだから」と笑えるような、余裕のある人になれたらいいなぁ。


なので、もしも私がアンパンマンだったら――

桃太郎のきび団子みたいに、腰にミニアンパン入りの袋をぶら下げて
おなかが空いて動けない人にミニアンパンを渡しながら

「これ、余ってるから!
べっ…別に、助けようとかじゃないわよっ!私の勝手でしょ!」

などと言う、ツンデレアンパンマンになるのかもしれません。

 

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